最新情報

最終更新日:2014.7.17|意見数:59件

芸術の学校Yotsuya Art Studium(東京新宿)については画面最下を参照。

2014

4/29

近畿大学国際人文科学研究所ホームページにおける表記を追加報告。

4/4

3月31日をもって四谷アート・ステュディウムは閉校。 在学生有志による近畿大学への存続を求める活動は終了する。今後の活動について、いくつかの講座の受講生により、自分たちで学び研鑽する場を生み出そうとする動きが始まっている。

3/17

提出した署名の請願事項に対する回答を求めるため、在学生有志よりコミュニティカレッジオフィスへ電話で問合せ。窓口担当者からは「署名冊子を渡したが(事務長、所長からの)返答はない。今後も署名に対し何らかの見解を示すことはない」との回答を得る。


3/10

在学生有志が、これまで集めた署名(529名分)を近畿大学国際人文科学研究所コミュニティカレッジオフィスへ提出。提出の際も直接の回答は得られず。


2013年12月3日火曜日

「近畿大学である、誇り」細尾直久

[建築設計]


東大阪の近畿大学において、2005 年度の一年間、岡崎乾二郎先生のゼミに所属して、勉強をさせていただきました。僕は文芸学部ではなく、理工学部、建築学科の学生でしたが、たまたまもぐり込んだ「現代芸術論」の授業に衝撃を受け、頼み込んで許可をもらい、ゼミに参加させていただいたのです。大学の建築学科は、専門分野に特化され、制度化されたものであったので、それだけでは飽き足りなかった僕にとって、大学の建築学科という制度から離れた場所で、一見無関係にみえる、様々な領域の背後にある仕組みや、相互間のつながりを見つけ、取り出し、組み立て直していくという、ものを考え、つくる上での本質的なことを、そこで学びました。
ただ、岡崎先生の講義は、熱心な外部からの聴講生が多くを占めており、切実さを持って授業に臨んでいる一方、文芸学部のほとんどの正規の学生には関心をもたれておらず、ほんの数人の正規の学生しかゼミに参加してこないという、奇妙な風景があったことも、書き記しておきます。

東京にでて、四谷アートステュディウムに遊びに行き、研究員合宿や、四谷のイベントにも度々参加することがありました。



まさに四谷アートステュディウムは、普段は別の場所に、それぞれ専門分野を持つ、大学院生やすでに批評家や作家として活動している人たちが、交差しあいながら、様々な領域を結びつける知能の働きを訓練し、ものを考え、つくる拠点として、熱気に満ちていました。
それぞれの専門分野に特化せざるを得ない、通常の大学制度とは離れたところで、様々な領域を横断する、“もうひとつの学校” として機能しているからこそ、四谷の熱気と、知的興奮が存在していたのだ、と思っています。

僕は大学卒業後すぐ、イタリアに留学し、向こうで働くようになり、一年前から京都へ拠点を移しました。イタリアも京都も、一見、古めかしい、過去の遺産でおおわれた場所でしかない、と思われがちなのですが、古いもののなかに沈殿している仕組みや、他のものとのつながりを見つけ、取り出し、組み立て直していくという、“ほんとうの意味での教養” があれば、これほど現代において、ものを考え、つくりあげていくヒントが隠されている場所はありません。

例えば、ローマ郊外に位置する、ローマ皇帝の別荘地であったヴィラ・アドリアーナは、かつての建材が打ち捨てられた、遠い過去への思いを馳せる庭園ですが、壊されてしまった、かつての建築の礎石を庭園に内包し、過去を想起するという、京都における西芳寺の禅宗庭園と、まったく同じ形式をしています。2008 年に福島で行われた、四谷アートステュディウムの研究員合宿に参加したのですが、研究員の方達と議論したことをイタリアで思い出し、それがイタリアと日本の庭園の、構造的類似に気づく大きなヒントにもなっています。

“ほんとうの意味での教養=一種のコモンセンス” を学ぶ場所こそが、“もうひとつの学校”である、四谷アートステュディウムであることは、言うまでもありませんが、最後に、近畿大学の卒業生として、僕は書かなければならないことがあります。

近畿大学に国際人文科学研究所という機関があり、その中に四谷アートステュディウムという学校が存在するということは、近畿大学に、一種の誇りを与えてくれるものでした。現代の世界において、人文科学のフロンティアを、まさに切り開いている先端の場所であり、かつ、そのように世間で認識されているからです。

本来の意味で“大学” とは、就職や仕事に役立つといった短期的な目的の為だけでなく、学生に対して、これから先の長い人生において、考え、研究する方向を示唆するような場所のことをいうのだと思います。そうした意味において、近畿大学が“大学” たりうるのは、まさに四谷アートステュディウムがあるからであり、それを簡単に潰してしまうのは、西芳寺をブルトーザーでコンクリート舗装してしまうような、文化的な暴挙に、近いものがあります。

四谷アートステュディウムを閉鎖させて、近畿大学の通常の講座のなかで、同じことができるとは思えません。大学の講座は現状では、即戦力で就活や資格に役立つプログラムが重視されているように、思われるからです。それに対して四谷のプログラムは、僕が経験したところ、むしろ大学を終えて、社会にでてから、その先に、指針を与えるようなものとしてありました。
目の前の就職にしか関心がいかない学部生に、これに気づくゆとりがあるのかどうか?すなわち、十年後、百年後をも見据えるような射程を持ち、世界のヴィジョンを指し示すべく研究をし続ける場所は、大阪の大学制度の中では位置づけられない、と思うからです。つまり、四谷アートステュディウムのような機関は、大学制度の次にくるもの、その向こう側にこそ、なければならない。近畿大学には、その向かう先、その次がある。

僕は、近畿大学に誇りをもてたのも、それが理由でした。僕は、近畿大学が、東京において四谷アートステュディウムを継続させ、人文科学の最先端を切り開き、そこで学ぶ多くの学生に、大きな示唆を与える“大学” であり続けるならば、近畿大学の卒業生であることを、これからも、本当に晴れ晴れしく思うでしょう。

四谷アートステュディウムの継続を、こころから願います。

●受講講座履歴
近畿大学文芸学部・岡崎乾二郎ゼミ(2005 年度)

●来年度以降 受講予定講座
京都市在住なので、遠隔地からでも受講できる講座が設けられれば、是非参加したいです。

2013年12月2日月曜日

高石万千子

 私は「現代思想」(1980年代、柄谷行人、浅田彰のころ)で そこで私は岡﨑乾二郎の存在を知りました。
のちに同誌が“近畿大学 国際人文科学研究所 東京コミュニティカレッジ”という長い名構の開校広告がのり私は早速入会受講しましたのがはじまりいまに至ります。
いまは“四谷アートステュディウム”(プラネタリー(惑星的)な思考と実践 この上なく明晰な芸術の学校)がつけ加わりました。

 私はユニークなパンフレットが大好き。発行されるとかならず友人に配りました。「すてきな学校で勉強しているのよ・・」と。

「果敢な遭難(冒険)をやめさせることはできません」橋本聡

[「アーティスト」や「基礎芸術 Contemporary Art Think-tank」などで活動しています。最近は「ロバート・スミッソン」のプロジェクトを複数人で企画しています。]


たとえば「政治」や「経済」、「科学」、「芸術」などと並べられ、役割分担のようにカテゴリー分けされますが、それは利便性や効率性などによる手管のようなものです。たとえ多くの人が手管と受け取らないとしても、「芸術」にとっても「何か」にとっても、そのような図式に身を任せることは檻に入るのと一緒でしょう。だから、その図式に囚われずに「芸術」やら「何か」はあらゆることに向かわなければ骨抜きになってしまう。でも、大半の「何か」だけでなく大半の「芸術」を掲げる機関、そして「アーティスト」を掲げる個人でさえ、役割分担に終身しようとします。


四谷アート・ステュディウムは「学校」なり「芸術」という言葉を暫定的に掲げるとしても、上述のカテゴリー分け自体をも解体し、それらのパーテーション(区分け)をフレキシブルに筏なり、サーフボードとなしアクチュアルな冒険をおこすものでありました。それが個人的活動でなく、機関の規模でなされるのだから、より驚愕なことです。個人的活動とは位相が違い、複数の活動を交通させるプラットホームを形成し、アクチュアルなネットワークを駆動させる。そのプラットホームが破壊されれば、そこで交通する多くの者の冒険までもが破壊されてしまいます。既成のプラットホームにのっかるだけの大半の学校とは違い、代わりはないのです。