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最終更新日:2014.7.17|意見数:59件

芸術の学校Yotsuya Art Studium(東京新宿)については画面最下を参照。

2014

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近畿大学国際人文科学研究所ホームページにおける表記を追加報告。

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3月31日をもって四谷アート・ステュディウムは閉校。 在学生有志による近畿大学への存続を求める活動は終了する。今後の活動について、いくつかの講座の受講生により、自分たちで学び研鑽する場を生み出そうとする動きが始まっている。

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提出した署名の請願事項に対する回答を求めるため、在学生有志よりコミュニティカレッジオフィスへ電話で問合せ。窓口担当者からは「署名冊子を渡したが(事務長、所長からの)返答はない。今後も署名に対し何らかの見解を示すことはない」との回答を得る。


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在学生有志が、これまで集めた署名(529名分)を近畿大学国際人文科学研究所コミュニティカレッジオフィスへ提出。提出の際も直接の回答は得られず。


2013年11月22日金曜日

「人材のるつぼ、出会いのファーム」原 牧生

[社会人]


人生は短く芸術は長いといいますが、このごろは人生も長く、むしろ芸術が短い場合もあるようです。しかし、四谷アートステュディウムがあれば、芸術が続きます。この学校はリピーターになりやすいですし、私もそうなっています。ここを媒介とした、芸術と人生の関係があると思います。芸術(アート)と人生(ライフ)の関係を考えると、それは例えば習慣のように、その人のものでありながらその人を超えてあって、その人らしさになるものだと思われます。芸術は人生を裏打ちするようになると思います。ここは、学校を卒業して社会に出るというコースと反対に、社会に出ていながら芸術をしていくための学校だとも考えられます。

しかしここで考えさせられるのは、芸術と社会との関係、この資本主義の世の中において、芸術にとって社会といえるものはあるのか、あるいはその逆、社会にとって芸術といえるものはあるのか、という問いです。その問いは、この学校と社会との関係という問いにもなり、今まさに問題となっています!



機能として社会であり、社会のすき間でもある、ここはそういうところであるように思えます。そうあるためには、本当に考えているということが、そこになければなりませんので、他にはなかなかないと思います。

たんなる受講生という以上の、同伴者的な感じが自分にはありますし、ここの周りには、そういう人は少なくないと思います。ここと関連するイベントで集まったりすれば、それ自体が存在力のあるアートムーブメントです。

教育事業は、情報サービス業の一種とみなされているかもしれませんが、人間という動物、生きた自然を相手にして、育てることは、プライマリーな農林水産業のなかまになる方がいいのではないかという気もします。そして、出会いは、瞬間的な出来事というより時間的なことで、人と人は時間をかけて出会っていくものだと思います。それは今どき、本当のぜいたくかもしれません。そういう場があるというのは。田畑をつぶさなければ、長期的には、かけがいのない、つまりお金では買えないものを失わずにすみます。同じようなことが、ここでも成り立ちます。それは、カルチャーという語の意味を考えても明らかだと思います。

●受講講座履歴
  ことばのpicture books講座(21~24年度)
  芸術理論ゼミ(23・25年度)
  批評ゼミ(25年度)
  身体/言語ゼミ(23・25年度)