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最終更新日:2014.7.17|意見数:59件

芸術の学校Yotsuya Art Studium(東京新宿)については画面最下を参照。

2014

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近畿大学国際人文科学研究所ホームページにおける表記を追加報告。

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3月31日をもって四谷アート・ステュディウムは閉校。 在学生有志による近畿大学への存続を求める活動は終了する。今後の活動について、いくつかの講座の受講生により、自分たちで学び研鑽する場を生み出そうとする動きが始まっている。

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提出した署名の請願事項に対する回答を求めるため、在学生有志よりコミュニティカレッジオフィスへ電話で問合せ。窓口担当者からは「署名冊子を渡したが(事務長、所長からの)返答はない。今後も署名に対し何らかの見解を示すことはない」との回答を得る。


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在学生有志が、これまで集めた署名(529名分)を近畿大学国際人文科学研究所コミュニティカレッジオフィスへ提出。提出の際も直接の回答は得られず。


2013年11月13日水曜日

「文化の声 ~四谷アート・ステュディウムは私に何を語ってきたか~」鈴木悠太

[作家]



世の中が、何を中心として動いているのかを僕たちは知っているのだろうか。経済か、資源か、軍事力か、政治力か、国土の大きさか、その境界線のせめぎ合いか。少なくとも、その中心が『文化である』と答えることが出来る人間は何人いるのだろうか。文化の発現のその最たるものとして芸術を考える事が出来る人間が何人いるだろうか。想像するに多くはいないだろうが、特異的に、僕の周りにはそう考える事のできる多くの人がおります。経済活動よりも芸術生産を優先し、今の時間よりも先の時間、もしくは逆の時間で思考出来る人々が。文化の声を信じる人々が。その多くの人々は、四谷アート・ステュディウムで出会った方々に他なりません。岡崎乾二郎先生を筆頭に、多くの知と声を持つ方々に学ぶ事が出来たことを誇りに思っております。

また、微力ながらもその一分を次に繋いでいく覚悟を持って制作している仲間に出会えた事に喜びを感じております。彼らも同じ気概を持って制作している事でしょう、それは必ずや世のに対して発言をし続けます。その思考と行動そのものを教えて頂いた場所が四谷アート・ステュディウムです。
芸術を生産するとはどのような事なのか。お金を稼ぐ事なのか、戦争を止める事なのか、国に利益をもたらす事なのか。それらはすべて役割として二次的に付与された結果であり、場合によっては当てはまるように思われます。しかし、芸術はそれらを越境する事が出来ると考えるようになりした。単なる手段ではなく時間と空間を越境しうる唯一の行為として。むしろその結果に回収され得ない部分を含む事が出来る唯一の方法。それが芸術だと発見する事が出来たのは四谷で学んだからに他なりません。


その事自体が僕にとっては大きなジャンプであり、初めて芸術が何たるものかを実践する場所になりました。それが四谷アート・ステュディウムであり、岡崎乾二郎ゼミでの経験であったと考えています。その時に得た課題が、イコールで今後作家として制作する根幹の動機となりモチベーションとなっております。また、実際の芸術生産についても、思考の訓練から、制作方法、実践を経て展示発表までを岡崎乾二郎という稀有な存在の元で行うことが出来るというシステム自体も奇跡に近い事だと感じております。誰よりも明晰な頭脳を持ち、かつシビアに制作をし続けておられる氏の元で思考し、実践し、フィードバックが得られるという事は、次の世代の作家にとってどれほど貴重な経験と成りうるのかは計り知れないものがあろうかと思います。少なくとも、その作家の人生を決定づける、ある部分に直接的に働きかけるという極めて危険であり最重要な機会であったと感じております。重要であるのは、それが危険であるという事を作家自身が認識出来ているという部分であり、作品を作るという行為はその危険性から逃れられるものではありません。これは主観ではありますが、その危険性に触れることができる教育を行える機関は四谷以外に存在し得ないのはないでしょうか。なぜならば、岡崎乾二郎先生を筆頭にした講師の方々が皆その行為の実践者であるからです。同時代に受け入れられなくとも、経済的な利益を得られなくとも、その元で学び、作家としての出発点に立つという事は芸術教育の域にとどまらない真の教育の実践になるのだと信じておりますし、また感じております。私は、同時代的な評価はその対象の本質的な評価には絶対に直結しないと考えております。四谷がこれまでの芸術生産に対する一つの実践であったとするならば、本質的な評価なり結果は現在の時間で回収出来るはずもありません。
むしろ、芸術生産こそまさに先の時間に対する行為であるから、その発端としての四谷アート・ステュディウムは現在の時間の評価で回収出来るはずもないのです。原理的に不可能だと思います。

経済活動のみならず、価値観や文化までもが効率化の元に高回転で回収されていく社会の中で、その軸とは別の時間軸を持った文化生産の方法があって然るべきです。さもなければ、あらゆる文化は淘汰されてしまうでしょう。それを是とするか非とするかはその時点では選択出来ません。その選択が可能なのは今だと考えています、それ故に困難も多いはずですが、四谷アート・ステュディウムの存在意義、持続する意味は揺るぎないものだと信じております。



私は2010年~2012年まで三年間、岡崎乾二郎ゼミに在籍しておりました。その中で、最も象徴的な事。それは2011年3月11日の震災でした。当時、修了展準備の真最中での震災でしたので、やむを得ず会期を一ヶ月延期した事を鮮明に覚えております。私個人としては延長せず震災直後から展覧会を行うことを希望致しましたが、『被爆者が出た』という情報を知った瞬間に延期を決意しました。その後数ヶ月間(もしくは未だに)情報が錯綜し日本が揺れ続けております。作家にとって、アーティストにとってこの震災の後に表現活動をする事を行う為には、再び『前提』を自ら作らなければならない状況に立たされました。なぜならば、震災以降それまで前提としていた事物が覆ってしまったからです。もしくは前提とされていた物事の根幹が崩壊し、露呈していったからでしょうか。芸術にとっての前提。作品の存在意義を構築するという作業は容易な事ではありませんでした。なぜならば、その作業には確固とした歴史と震災以降の時間に対する設計が必要となったからです。その容易ならざる作業を、岡崎乾二郎先生や四谷の皆さんと共に行えたという事は今後の作家活動を続けていく上でとても重要な意味を持っていると感じておりまし、事実震災以降になって初めて、芸術で何が可能なのかを知ることになったとも言えます。そこを発端とする行為や発表は、必ずしも同時代的に評価出来るものではないでしょうが、それは常に言葉や思想を発し続けるはずです。私はそれをこそ芸術だと考えておりますし、その芸術の根幹を学ぶことの出来る唯一の機関が四谷アート・ステュディウムであると考えております。私は四谷アート・ステュディウムの存続を強く望むと共に、出身作家の皆さんのさらなる活躍を望みます。

●受講講座履歴
2010年度:芸術理論ゼミ、岡崎乾二郎ゼミ自由応用2011年度:岡﨑乾二郎ゼミ自由応用2012年度:岡﨑乾二郎ゼミ自由応用