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最終更新日:2014.7.17|意見数:59件

芸術の学校Yotsuya Art Studium(東京新宿)については画面最下を参照。

2014

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近畿大学国際人文科学研究所ホームページにおける表記を追加報告。

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3月31日をもって四谷アート・ステュディウムは閉校。 在学生有志による近畿大学への存続を求める活動は終了する。今後の活動について、いくつかの講座の受講生により、自分たちで学び研鑽する場を生み出そうとする動きが始まっている。

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提出した署名の請願事項に対する回答を求めるため、在学生有志よりコミュニティカレッジオフィスへ電話で問合せ。窓口担当者からは「署名冊子を渡したが(事務長、所長からの)返答はない。今後も署名に対し何らかの見解を示すことはない」との回答を得る。


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在学生有志が、これまで集めた署名(529名分)を近畿大学国際人文科学研究所コミュニティカレッジオフィスへ提出。提出の際も直接の回答は得られず。


2013年11月21日木曜日

「教育機関による芸術・研究実践――体系性ある批評言語しめす磁場」印牧雅子

[編集者 / 身体芸術]


近畿大学四谷アート・ステュディウムの前身である「芸術・建築コース」開設記念シンポジウムで招かれた、科学者の故ビリー・クルーヴァー氏の活動に触れ、感銘を受けました。クルーヴァー氏は、芸術家と協働するエンジニアのユニオン「Experiments in Art and Technology(E.A.T.)」の代表であり、1960年代アメリカにおいて芸術家たちとの重要なコラボレーション・ワークを実現してきました。芸術作品が現象として定着する、その媒介者として不可欠な役割を担った科学者クルーヴァー氏。芸術を、閉じた美学的対象としてではなく、諸学を結びつける技法として用いること、そして、諸学の連関を新たに基礎づけるモジュール(単位)として芸術を見出すこと。このシンポジウムがアート・ステュディウムを象る象徴的な出来事として、芸術が感性・感覚的領域に属するものでありつつも、同時に、科学的に扱い得る客観的相関物として組織されてあることの核心を教えられた瞬間でした。それらの考えは、続く授業のなかで扱われた、今日の人文科学の基礎となる18世紀の百科全書派にも連なることを学んでいきました。

こうした実証主義的とも言える姿勢が、四谷アート・ステュディウムの教育・研究実践を貫く特徴の一つに思えました。哲学者カントの有名な概念「アンチノミー」(二律背反)を主題にした展覧会企画は、学校併設ギャラリー・オブジェクティブ・コレラティブ開館記念展として行なわれましたが、その内容はゼミの研究成果に基づくものでした。古今の芸術作品にアンチノミーの諸相を見て解析する狙いから、例えば、高橋由一の油画の描画の成り立ちを検証する模型が制作され、分析された内容はカタログに収められました。研究を主眼に、美術作品の模型や複製を展示する学究的な方法は画期的なものに映りました。

こうして芸術創造の過程を解きほぐし、記述する試みは、新たな批評言語の開発へと発展していったように思います。岡崎乾二郎先生監修のもとリサーチされ、出版された書籍『芸術の設計』(フィルムアート社)がその一つです。美術・音楽・建築・ダンスそれぞれの記録・記述方法(ノーテーション)に着目し、技術の伝達の側面から各表現形式・ジャンルを捉えなおすユニークなアプローチ(ものの見方─分節方法に、すでにものを作る技術的な影響が入り込んでいる)は、しかし多くの実作者にとって無視しえない材料を投げかけたはずです。

講演などの企画においても実践的であるのは、第一線で活動する国内外の芸術家・評論家・キュレーターらが集い、進行中のプロジェクトや研究課題が俎上に載せられ、議論が交わされることで、それ自体が知のネットワーク、影響力をもつ批評的な場として形成されていることです。また、制作ワークショップの在籍経験者を対象にしたコンペティションからは、多数のアーティストが輩出され、国内外で活躍しています。



以上の一例をプロジェクトメンバーの一人として目にしてきた自身の経験にとって(そのどれもが得難い機会であり、どれほど感謝しても、し尽くすことはできません。)、とりわけ指針となったのは、ほぼ毎月開催される講演などの特別企画に参加しつつ受講した、年間を通した毎週の制作ワークショップでした。

発表と相互批評を繰り返し、また歴史研究も行なうことで、作品や企画を組み立てる思考、ひいては、思考回路自体の創出を柔軟に養い、吟味する基礎を、身体を動かしながら学びます。美術や建築、人文系の学問を学ぶ大学生・大学院生、その卒業・修了生を中心に、すでにプロとして活動している作家や研究者、また全く実作の経験のない者にも開かれたワークショップで経験したのは、知覚が組み変わるような幾度とない発見とともに、神秘化されがちな制作の論理を言語化する徹底したアプローチ、そして、芸術活動の厳しさでした。そこでは、芸術作品のかたちをとって提出された個々の特殊解を前に、そこから導き出され、定義しなおされる問題群・パラダイムを丹念に読み解き、かつ、特殊解とともに立ち上がる理論を反射的に掴まえる、動的な観察態度が毎回試されました。

このようにして築かれた場に身を置き、実感することは、芸術の分野での大学研究所付属の教育機関の実践の形態として、その密度と質において類例を見ない稀有なものであるということです。文化に携わる人材の育成と成果物を産みだすシステム/メディアのモデルとして、確かな領域を示しているのではないでしょうか。それだけでなく、体系性を備えた独自の批評言語を提示し続ける、精緻に組み上げられたカリキュラム、プロジェクトの数々がすでに財産であり、そこに様々な専門家が行き来するダイナミックな交通が起こり、これまでの蓄積によって、容易に成し得ないプログラムが実現するプラットフォームたりえているのです。多摩美術大学の芸術学科を卒業して飛び込んだこの学校を一時期離れ、アート・プロジェクトの企画制作や編集の仕事にフリーランスで携わった経験からも、このような条件を備えた場の成立がいかに困難であるかが窺えました。

また、これまで実現してきたような他組織や研究所との連携がさらに行なわれ、それぞれの専門性を活かした、教育・研究プログラムに基づく協働が発展する可能性が絶たれてしまうのであれば、それは大きな損失と受け取れることであり、残念でなりません。

閉校の判断とその実行の過程がどのような理由に基づくのかを近畿大学が十分に明らかにすることは、教育・文化活動の一環として必要不可欠な手続きであり、それは、直接の関係者にとどまらない範囲に、より多くの議論の種とヒントを与えるものと考えます。四谷アート・ステュディウムが存続することを強く望みます。


2003年より受講(2005-10年 / 2012年-研究員)

●受講講座:
芸術理論ゼミ、岡崎乾二郎ゼミ、ことばのpicture books講座(アヴァンギャルドのための絵本講座)、編集オルタナティヴ講座(テューター)、山崎広太 身体/言語ゼミ(テューター)、高橋悠治ゼミ、Theory Round Table、特別ゲスト講義多数

●プロジェクト:
アンチノミー展、岩波映画上映会、アート・ティクトク、コンペティション マエストロ・グワント – Art Studium Artists File、Experiment Show、芸術の設計、Everybody’s Effort:イヴォンヌ・レイナーをめぐって、批評の現在シリーズ、Yotsuya Art Studium meets DOMMUNE大学──生命とは何か、これからの芸術・これまでの芸術シリーズ、特別レクチャー:スティーヴ・パクストン、ジェイ・サンダース、マルテン・シュパンベルグ ほか