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最終更新日:2014.7.17|意見数:59件

芸術の学校Yotsuya Art Studium(東京新宿)については画面最下を参照。

2014

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近畿大学国際人文科学研究所ホームページにおける表記を追加報告。

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3月31日をもって四谷アート・ステュディウムは閉校。 在学生有志による近畿大学への存続を求める活動は終了する。今後の活動について、いくつかの講座の受講生により、自分たちで学び研鑽する場を生み出そうとする動きが始まっている。

3/17

提出した署名の請願事項に対する回答を求めるため、在学生有志よりコミュニティカレッジオフィスへ電話で問合せ。窓口担当者からは「署名冊子を渡したが(事務長、所長からの)返答はない。今後も署名に対し何らかの見解を示すことはない」との回答を得る。


3/10

在学生有志が、これまで集めた署名(529名分)を近畿大学国際人文科学研究所コミュニティカレッジオフィスへ提出。提出の際も直接の回答は得られず。


2013年11月23日土曜日

「張り合いを失った顔と芸術のおしえ」杉山雄規

[大学院生]


 先日、四谷アート・ステュディウムに閉校の噂があることを、受講生の友人より耳にした。はっきりしたことは判らないが、と前置きした上で、彼は悲痛そうな面持ちでその知らせを僕に告げた。喧騒の只中にある新宿のカフェで、僕らは、ただの一言もなく、沈黙するほかなかった。なぜ閉校しなければならないのか、どのような過程を経て、最終的に誰によって閉校の決定が下されたのか、そして閉校は確定事項なのか。頭の中に幾つもの疑問が間断なく浮かんでくるものの、一度どちらかがそれを口にすれば、この切迫した空気が緩んで、今にも涙が零れてしまいそうだったから。
 それから暫くして、四谷アート・ステュディウムの存続を求める声が、各界の著名な先生方や現役の受講生、そしてOB・OGの諸先輩方から次々に挙がった。止むに止まれぬ思いに駆られ僕も筆を執った所まではよかったが、どうにも書きあぐねてしまい陳情文の執筆は頓挫してしまった。その時初めて、存続を願う思いは変わらないはずであるのに、それを正当化する言葉を終に持ちえない自分を発見した。数字や客観的な事実により教育機関としての重要性を論証してみせることも、また個人の受講体験から指導水準の高さを主張することも出来ない。そして何より、彼是理由を付けた挙句、《だから》四谷は存続すべきなのだと結論付けることが、僕にはどうしても出来ないのだ。



 2011年の春、受講説明会に参加するべく、四谷アート・ステュディウムの門を叩いた。会の終了後に、岡﨑先生と初めて個別に話をする機縁を得たときのことだ。先生はタンブラーを手に取り、「この蓋と筒の部分、どちらが先にできたか分析してごらん」と問いを投げかけられた。予想外の質問に困惑する僕を見て、先生は微笑みながら「筒の部分を先に作って、それに当てはまるように蓋を作ったんだよ」と、自らお答えになられた。日常の道具を例に取りながら、事物の組成に不可逆的な時間順序があることを、何気ない会話の中でさらりと示してみせる。僕はその鮮やかな手つきに感嘆し、虜になり、四谷に籍を置くこととなった。無論これはほんの一例に過ぎず、その日から今日に至るまで、先生から数限りない芸術のおしえを受けてきた。そのどれもが、具体的な体験と分かちがたく結びついている。理論ゼミで毎授業ごとに交わした質疑応答も、基礎ゼミで開催した展覧会の準備で写真の展示方法も、そして事あるごとに思考の悪癖を正してくださったことも、あらゆる指導が普遍的なものでありながら、同時に、誰とも共有しえない、僕個人の領域に属しているのだ。この特殊な経験を抜きにして、僕は、四谷アート・ステュディウムという存在について語ることができない。しかし、個人的な思い出を敷衍して、存続の理由を述べ立てることもまた許されないだろう。こうして、存続を願う切々とした思いと、その思いを支える豊穣な記憶とをつなぐ《だから》という因果の通路が、僕の中で断たれてしまったのだ。

 閉校の報せを聞いてから、かえって四谷の仲間たちとよく顔を合わせるようになった。その誰もが意気消沈していた。縁起でもないが、寺田寅彦の逝去を悼む、中谷宇吉郎の随筆の一節―――先生の直接の指導を受けた門下生は誰でも皆、先生の死に遭ってすっかり張り合いを失って、何をする元気もなくなってしまったように見える―――が想起された。四谷アート・ステュディウムという場の死が目前に迫っていると聞いて、それでも、まだなお元気のある、優秀な友人たちは、四谷アート・ステュディウムが存続すべき理由を、時に客観的事実を根拠に見事に証明してみせ、時に主観的な経験に依拠しつつ雄弁に語ってみせるのだ。それらは陳情文として、あるものはblogに掲載され、またあるものは近畿大学の関係者に届けられると聞いた。彼らよりずっと才のない僕も、このような駄文により末席を汚すことになった。恥ずかしい限りではあるが、たしかに四谷アート・ステュディウムにおいて、かけがえのない経験とともに、芸術のおしえを授かったことを、ここにこうして書き残しておきたい。

 いま鏡を見てみると、やはり僕は幾分張り合いを失った顔をしているようだ。しかし一方で、それ以上に、今回の一件で無責任に騒ぐ外野の人々や、そして四谷アート・ステュディウムを失くそうとする当事者の人々までもが、随分呑気な顔をしているように思われるのは、一体どういうことなのだろうか。

●受講講座履歴
2011年 芸術理論ゼミ 
2012年 岡崎乾二郎ゼミ 基礎 
2013年 岡崎乾二郎ゼミ基礎-1 絵画編


●来年度以降 受講予定講座 
岡崎乾二郎ゼミ 基礎、岡崎乾二郎ゼミ自由応用、芸術理論ゼミ、岡崎乾二郎 批評ゼミ